エルエルロック

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幻惑奇音譚

ロック少年はいつまで夢を見るか〜ゴールデン・カップスBOX発売に寄せて

10代の頃の感覚というものは大切だ。10代に何を見、何を聴き、何を体験したかによって、その後の生き方が左右されると言っても過言ではないだろう、とまで思う。逆に言えば、20代を過ぎてから決定的な影響を受ける、というのもないわけではないだろうが、ちょっとどうだろ、つう感じではある。

僕が10代のころに聴いてショックだったのは、「ドアーズ」「ラブ」「頭脳警察」「ジャックス」、とまあこんなものである。ヴェルヴェッツはちょっと合わないかな。60年代モノが中心だったから、その他ガレージパンクや英国ロックはなじみ深い。20歳で東京に出てきて、その後やっとレコードやCDを購入できるようになって、聴きまくったものもそれらばかり。ストーン・ローゼズなどにしても、ハウスの意匠はあるが結局は60年代的楽曲なわけで、通底はしていたと。

別に20代にしても30代にしても新しいモノにはぶつかるし、好きになるモノもあるし、それは聴いてれば普通なのだが、10代ほどのショックな感覚はついぞ訪れることはなかった。多分、これからもないだろう。にストゥージズの「FunHouse」は「ああ、これを10代に聴いていれば」と思ったし、「PetSounds」は相当ショックだった。しかしながら、トロピカリアやジャズを含めてそれらは例外に近い。

しかし、本気で聴かなかったことを後悔したモノがあった。「GS」である。

いや、「GS」と書くだけで語弊があるので、ここでは「日本の60年代ロック」と書き直そう。もうカルトGS以後定着したと思っているが、やはり現実そんなことはなく、あくまでも「好き者」だけの愛玩音楽なので。

GSなんて「日本歌謡界が外国のロックをまねて作ったモノ」としかとらえてなかった10代のころ。60年代当時の現役の方々の飲み会に誘われた時などには「実はそうではない」と聞かされていたっけ。わかっている人はわかっている、ということか。ただ僕自身は聴く機会はほとんどなかったし、せめて聴いたことがあったのは「モップス」でしかも東芝の音源だった。

その後、年を経るにつれ「スパイダース」は結構皆さん体験している、ということがわかってきた。それも僕と同い年ぐらいの連中だったりするわけで。僕にとって当時は、スパイダースと言えば「SadSunset」の印象で。ただ皆口々に「スパイダースの1stは聴いたことがあるか?俺は聴いたぞ」というものだった。で、聴かせてくれ、と言うと必ず拒否される。とにかくCDになるまでは、スパイダース1stのことになると僕は悶々とした気分になるのだった。

果たしてくだんの1stがCD化され、早速聴いてみる。

そして皆が拒否した理由が十分にわかったのである。

1966年、すでに日本には、ロックがあったのである。

当時懸命になってリアルタイムのロックを吸収し、それらで得た知識をレコーディングで全てぶつけてみたのだろう。よく言われることだが、「ギターの音が割れている」とエンジニアが怒り出す、という笑えない話が実際にあったらしいし、録音の仕方自体が未知のものだらけ、と言う状態でよくぞここまでのレベルで完成した、というすばらしいアルバムである。現在だって、ここまでのレベルは無理だろう、とも思ってしまう完成度だ。

これを知っていたら、CD化されていなかった頃なら、誰にも聞かせたくはないだろう。自分だけの宝物である。そして思うに違いないのだ。「今の日本でロックとか呼ばれているものをロックとは認めない。なぜならば、日本も1966年にこういうロックアルバムをすでに作れる才能があったのだから。基準はここにある。しかし、これを埋もれたままにしておく状況下なら、絶対他人には聞かせないし、教えない。知っているだけでも優位だということはこのことだ」

ただ、スパイダースはあくまでも、学習をして出した結果としてのロックだ。それ故、海外での評価は芳しくない。あまりにも当時のロックなので、かえっておもしろくないのだろうし、学習したということが見え見えなので、「天然の美」は見いだせない。日本人としては「誇り」なのだが。

幻惑奇音譚〜「ロック少年はいつまで夢を見るか」終わり

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